東京新聞3/27〈大波小波〉に「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」紹介
東京新聞2017年3月27日夕刊〈大波小波〉に笙野頼子「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」(群像2017年4月号)が取り上げられています。
馬場秀和さん経由の情報。
中日新聞+<大波小波>文学で戦争を止めよう|2017年3月27日夕刊文化面
(余談ですが、Bloggerの新しいテンプレートがレスポンシブデザインになったので、ブログデザイン変えてみました)
馬場秀和さん経由の情報。
中日新聞+<大波小波>文学で戦争を止めよう|2017年3月27日夕刊文化面
アフリカの飢餓に対する文学の無力さを悟ったサルトルが読めば、肝を潰(つぶ)すだろうタイトルだ。「さあ、文学で戦争を止めよう」というのだから。これ一本で『群像』4月号の優に三分の一以上を占める笙野(しょうの)頼子の新作は、副題に「猫キッチン荒神」とあるとおり、一連の「荒神」ものの続きと見えるが、軸足は次第にキッチンから外の社会へと移りつつある。まさにおっしゃる通りで、社会批判が前面に出ているのは、作者の日常に逼迫した社会情勢が迫っているため。戦前という日常を反映した結果なのだ。
「流せTPP」という荒神様への祈りは、叶(かな)えられたかのように見える。だが事態が好転したわけでは全くない。国家神道のそれとは対極の、台所の小さな神である荒神にそんな大きなことを成す力はない。それでも「私」は祈らずにはいられない。「戦争法案」のせいだ。「守ってよ荒神様」と。というのも、現在と第二次大戦のときが重なるからだ。「あの時もみんな反対しているつもりだったらしい、そして気がつくと何かいきなり始まってしまっていたのだという」
剥(む)き出しの社会批評でありつつも、私小説でありファンタジーでもあるのが笙野の近年の傾向だが、最近はとりわけ初めの要素がおそらくはやむをえず肥大しつつある。タイトルの無謀さを支えるのはひとえに作者の使命感である。無力な竈(かまど)神でも立ち上がらねばならないと。
(余談ですが、Bloggerの新しいテンプレートがレスポンシブデザインになったので、ブログデザイン変えてみました)