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又吉直樹『第二図書係補佐』に『笙野頼子三冠小説集』

又吉直樹『 第2図書係補佐 』に『笙野頼子三冠小説集』の感想が収録されてます。 こちらは47冊の小説の読書感想文付きエッセイをまとめた本で、 エッセイは劇場「ヨシモト∞ホール」のフリーペーパーで2006~2009年に連載されていたとか。 47冊のラインナップは下記ブログに掲載されています。 http://d.hatena.ne.jp/taira-bon/20111216/1324037876 その本をちょっと覗いてみたところ、 確かに『笙野頼子三冠小説集』が取り上げられ、ラスト二行に感想がありました。 「なにもしていない」は著者と世の中との距離のとり方を書いた話として読んだ、他二編も凄く面白かった、という様な事が書いていた。 エッセイも「なにもしていない」にピッタリな体験談で、面白かったですよ。 あと、こちらの『笙野頼子三冠小説集』感想もなかなか。 http://blog.zare.boo.jp/?eid=780656 この作品集のすごいところと私が思うのは、 ��つとも、全部結局同じパターンの作品なんですよね。 引きこもりの女性が、外に出て、また家に戻る。正直それだけなんですよ。 同じ流れを展開して、で、主人公の女性の造形が非常に似通っていながら、 この3つの作品のイメージが全く違うのです。もう本当に全然違う。文体とか、漂う雰囲気とか。 ただひたすら心のあるがままに書いたかのような「タイムスリップ・コンビナート」、 シュールすぎて筒井康隆みたいな飛びぬけた笑いをもたらす「二百回忌」、 引きこもっている自分自身を内省しすぎて身も心も痛々しい「なにもしてない」。 でもストーリーは一緒なんだよね・・・。出て行って、帰ってくるだけ。 むちゃくちゃに書いてそうで全然むちゃくちゃな人ではない、著者の力量というか引き出しの多さというかを見せつけられる中篇集で、だからこそ圧倒されました。 「二百回忌」の「それにしても、かまぼこ・・・」という感想に非常に共感。 私も「かまぼこ…」と思いましたよ。

「猫キャンパス荒神」感想リンク

すばる2012年3・4月号 に掲載された、笙野頼子「猫キャンパス荒神」前篇と後篇の感想ブログを紹介します。 馬場秀和ブログ: (前篇) (後篇) 神変理層夢経シリーズの雑誌連載の経緯をまとめた上に、前篇後篇のわかりやすい解説と感想です。 これが雑誌発売日にアップされるのがスゴイ。いつ寝てるんですか。 老猫養老日記: (前篇) (後篇) 幸福になるための解決策やアドバイス、そんなもんじゃない。そんなもんはどぶに捨てろ。これは生きるための託宣だと知る。言葉の力を知る。 まさに同感。生きろ!と強烈パンチをくらったような。 Close to the Wall: (前篇) (後篇) 本編のツボというか大事な所をまとめていてすばらしい。関連するネット情報や書籍を紹介してくれるのもうれしい。 後篇で紹介された『先住民族の「近代史」』の解説は別頁にあります→ 上村英明『先住民族の「近代史」』 AT13DKさん: (前篇) 文芸誌すばる3月号で笙野頼子の久しぶりの新作「猫キャンパス荒神(前編)」。変化した状況を整理、再フォーマット、という感じ。どんどん変わっていく作家だけど、今回はなんだか頼りなげだ。後編でどう展開するのか気になる。 AT13DKさん: (後編1)   (後編2) 文芸誌すばる4月号笙野頼子「猫キャンパス荒神(後編)」。天狐ってやっぱりTEPCOがかかってるんだろうな。千葉住みの著者があの震災をどう表現するのかは気になってた。震災と原発と、それとは全く別口の、親しい者を亡くした悲しみを抱える個人的生活。 地震の恐怖もだけど、喪の悲しみの表現力がすごい。天の火に対する個人的な生活の火の神、荒神再生譚で力強く祈るように終わる。家族関係の辛い話や喪の悲しみは生の苦しみだけど、何かを裏打ちしている側のような気がした。 ガザミさん Google+ 2012/02/12post 『猫キャンパス荒神』(前編)、「竈神でもあり、道祖神でもあるというその癒着的なコンセプトは実はこれらの世界的伝説を背景にしており(あまりに長いので省略するが、西洋化される以前のシンデレラ物語である。このシリーズの中でそれは、後々明かされる)、死から生が生まれる、男系を女系に引き戻すという暗示を含んだ姿だった。P97」というのは『レストレス・ドリーム』のシンデレラ物語書き換えの戦いの違うアプローチなのかな。